『人は経済苦で死ぬのではなく、誰かの支えを失ったときに絶望して孤独のなかで死を選ぶ』


「死にたい」

と思う人の気持ちを理解出来るのは、やっぱり「死にたい」と思ったことのある人だと、僕は思う。

もし、人生で一度も「死にたい」と思ったことがない人がいたら、「死にたい」という人の気持ちを理解することは、したくてもできないと思う。

死にたくなる理由は、人さまざまだ。

いま一番心配しているのが経済苦による自殺。
食べるものがない。
家賃や住宅ローンが払えない。
生きるための生活費がない。

新型コロナウイルス感染症によって、経済は大打撃を受けた。
政府や知事の休業要請によって営業することが出来ずに、来月の家賃が払えない、従業員に給料が払えない、と苦悩する経営者がいまたくさんいる。
また、失業、収入減、内定の取り消し、アルバイト先を失うなどで生活費に困っている人が多くでてしまった。

「コロナなんかに負けるか~」と、ファイトを燃やす経営者もいるだろう。
貯蓄で食いつなぐ人もいるだろう。
だけど、明日の不安は消せないと思う。

未来がどうなっていくのかとても不安でしかたがないだろう。
その不安はいつの間にか恐怖へと変わっていく。

「明日を生きられるか怖い」
「来年まで生きられるか怖い」

経済の不安は生活の不安。
生活の不安は生きていけるかという不安
不安を抱えて、ずっと先まで見えないとその不安は恐怖に変わる。

人は、明日が見えないと生きる力を失う。
人は、未来への道のりを見失うと失望する。
人は、過去の困難を乗り越えてきたことは忘れてしまい、未来を信じることが出来ずに、“いまこの瞬間を生きる力”を失ったときに死を選ぶ。

でも、本当は借金では人間は死なない。
会社経営は銀行などから融資されていることが大多数。
会社は銀行に借金があっても“それだけで”経営者が死にたくなることはない。
商売が継続していれば、事業が運営されていれば、借金は返していけるからだ。

では、経済苦で人はなぜ死を選ぶのか?
それは借金をする存在がいないから。
これは個人でも同じ。

失業して生活に困ったとき、助けてくれる家族や友人がいれば、生きていける。
いや、生きる望みが湧く。

生きる望みが見いだせなくなったとき、人は絶望する
絶望したときに孤独だと、救いの糸は完全に断たれてしまう

人間は結局、一人では生きていけない生き物。
誰かの支え無くしては生きられない生き物。

だけど、誰も支えてくれる人がいないとき、逆境や困難に負けてしまう。
誰一人味方がいないとき、誰一人声をかけてくれないとき、誰一人寄り添ってくれる人がいないとき、人の心は折れてしまう。

そう「孤独」こそ死神
完全なる孤独は、死と直結している

この孤独とは心の孤独、精神的な孤独を指す。
人間は、夢や理想を描くことができる。
ロマンを追い求めることができる。
でも、人間って現実世界に敗れていくんだと思う。

もし、あなたの大切な人が苦しみのなかにいたら、
救いたい人がいるのなら、
失いたくない人がいるのなら、
僕はアドバイスをする。

「孤独にさせないで」

たとえ現実的な解決をしてあげられないとしても。
声をかけてあげるだけでもいい。
話を聞いてあげるだけでいい。
ただ、そばに寄り添ってあげるだけでもいい。

孤独にさせない、それだけでもいい。
説教はいらない。
無意味に鼓舞する言葉は必要ない。

経済苦による自殺は、膨大な借金や失業等による収入が途絶えたことで絶望する。

でも、本当は経済が原因じゃない。
心が折れてしまったからだ。
誰かがそばにいなかったからだ。
生きる力を失ったからだ

会社であれば銀行が融資してくれたら、いくら借金が増えても生きる望みがでる。
あとは事業が続けられれば。
個人の場合、銀行とは言えないが一時的に経済を支えてくれる誰かがいれば生きていくことに絶望することはない。

だから、本当は「孤独が死を選ぶ理由」なんだと、僕は思う。

死にたいと思った人にとって明日は絶望を意味する。
未来は描けない。
未来を考えることすら拒否したくなる。
それは未来に希望を持てないからだ。

僕がどうして死の灰の中から蘇ってきたのか?
僕はこう考えた。

「これからずっと生きようと思うと辛すぎるから、あと少しだけ生きてみよう」と思った。
来年まで生きることを考えるのは辛いけど、今日を生きることだけ考えてみた。
明日のことさえ考えないようにした。
とりあえず、いまだけ生きてみようと考えた。
翌日になったら、また同じことを考えた。

「死にたい」と思っている人にとっては明日が来る、つまり時間があるということは普通の人とは逆で、それ自体が罰を受けているように苦しみにしか感じられないんだ。

だから、もし、あなたの大切な人がなにかで苦しんでいたら、それをわかってください。
孤独にさせないでください。

そして「死にたい」と、いま思っている人がいたら、僕は伝えます。

「明日のことなんか考えなくていい、いまだけ生きてみて」
「今日だけ生きてみて!」

もし、もう少し長い時間を考えられるのなら、「あと1年だけ生きてみよう」そう思ってみて。
「長生きしなくてもいい、もう少しだけ生きてみよう」と思ってみて。

死にたくなる人は「今この瞬間の苦しみに耐えられなくて死を選ぶ」。

だから、今日だけ生きてほしい。
もう少しだけ生きてほしい。

そう考えることでなにかいいことがあるのか?
そう考える人がいるでしょう。

人の事情はさまざまだから一概にはいえない。
良いことがあるかもしれないけど、ないかもしれない。
だったらいま死んでも同じじゃないか?

僕はこう思って生きている。
「明日来るかもしれない死に向かって生きている」

つまり、「生きる」というよりは「死に向かっている」という感じかな。
「生きていく」のではなくて「どう死んでいくか」という風に考えを変えた。

この違い分かってもらえるかな?

「死ぬ覚悟」は、すでにできているってこと。
僕は明日死んでもそれでいいと思っている。
(自殺しようとしているのではない)

人はどうせいつか死ぬもの。
誰もみんな必ず死ぬもの。

「死」を拒否して生きることと「死」を許容して生きることは違うと思う。

いつ死んでもいいと思うなら、今日を生きることができる。

僕はそう思う。

もし、明日死んでもいいと思って今日を生きることが出来るのなら、あなたは死の灰のなかから蘇った不死鳥のヒナです。
いつか不死鳥の翼を広げることができるかもしれない。

僕はそれを見てみたい。

もし、縁があって僕のこのメッセージを読んでくれているなら、あなたは僕の心の友。
あなたがもし、孤独のなかで深い悲しみやどうしようもない苦しみを抱えているのなら、僕へメッセージをください。

僕はいつでもあなたとつながります。

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