『友人の命日に贈る、追悼の言葉』
あなたから受けた恩は必ずあの世で返します。 あの世で返せなかったなら、生まれ変わって返します。 また、夏に会いに行きます。 私の命がある限り、会いに行きます。
あなたから受けた恩は必ずあの世で返します。 あの世で返せなかったなら、生まれ変わって返します。 また、夏に会いに行きます。 私の命がある限り、会いに行きます。
死のうとした僕が生きているのに、どうして僕に「生きろ」と言ったあなたが先に死ぬんだ! また、逢えるよね? きっとあなたとは過去世でも友人だったと思うから。 来世も友人としてともに過ごすことができることを願います。 僕が旅立つときには迎えに来てください。
人生は結果ではなく、“過程”にこそ幸福の姿があります。 悪いことではなく、良きことに反応してください。 不安の種を探すのではなく、希望の種を育ててください。 希望を捨てるのではなく、希望を描いてください。 花が咲かないこと、実がならないことを嘆くよりも、花を咲かせようと育てることに喜びを見出し、いつかくる収穫の時期のために育てることの中に喜びを感じてください。
「自殺」に関する間違いがここにある。 それは、「死にたいと思っている人を責めること」。 死にたいと思っている人は「死ぬこと」「死にたいと思うこと」が良いことだなんて思っていない。 そんなことは承知です。 それでも、苦しんでいるのです。 それでも、虚しいんです。 それでも、悲しいんです。 自分を消したいくらいに。
自己嫌悪できるということは、真面目な性格で責任感が強い人だと思う。 あなたはもっと自信をもっていいと、僕は思う。 あなたはもっと自分という人間の素晴らしさに気がつくべきだと、僕は思う。
イジメられてあなたが死を選んだら、イジメた奴らを喜ばせることになる。 そんなことは許せない、でしょう。 生きるんだ! サバイバルするんだ! 逃げるんだ! 隠れるんだ! そして、生き延びて幸せな人生を歩むんだ! 夢をつかむんだ! イジメた人間よりも長生きするんだ! それがあなたができる復讐戦です。
あなたの肉体は“いま“を生きているのです。 でも、心が「過去」に生きているから苦しいのです。 「過去の不幸」を忘れてください。 「過去の恨み」を忘れてください。 「過去の出来事」を忘れるのです。 それでも、前に進むのです。 それでも、明日へと踏み出すのです。
「死にたい」と思っている人には、同情は必要ありません。 「死にたい」と思っている人に、同情は援けにはなりません。 同情と違い、「思いやり」は相手の立場に立って考える感情です。 「思いやり」は、相手の心に寄り添う感情です。 「思いやり」には、上下関係はないのです。
僕が言いたいのは、「信じたほうが得な死生観」です。 もう少しこのブログに相応しい言い方をすると、「信じたほうが死にたくなる気持ちを減らすことができる死生観」「信じたほうが楽に生きられる死生観」です。