ブログ『不死鳥の翼』に込める思い ~挨拶に代えて~

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ブログ開設の挨拶(ブログ『不死鳥の翼』に込める思い)

僕は、一度死にかけました。

でも、ある友人のおかげで救われました。

絶望という言葉の意味を嫌になるほど、味わいました。

「死ぬこと」を選択しました。

そんな僕を励まし、生きることを説得してくれた友人がいました。

彼がいなければ、いまこうしてブログを書いていることも、生きていることさえなかったでしょう。

僕が、友人から言われた言葉は、

「死ぬのはいつでもできる。いまは生きることを考えろ!」

「生きていれば良いことがある」

その他にも「飯を食え」「ポジティブに考えろ」など多くの励ましの言葉と説得の言葉をかけてくれました。

日本における自殺者数は、2万人~3万人。
2019年の日本全国の自殺者は、過去最少の2万169人
(男性:1万4078人、女性:6091人)
前年より671人減ったといいます。
これを多いと思うか、それとも少ないと思うか、どちらでしょう?

このブログは、一度死んだ僕が、灰の中から蘇ってきた意味を探すことでもあります。

このブログは、僕のように死にたいと思った人に読んで欲しいものです。

このブログは、僕のように「死にたい気持ち」から解放される人が出ることを願って綴るものです。

このブログは、僕の友人のような誰かの命を救う人を増やすことを願って始めるものです。

このブログは、僕のように死の灰から蘇り、生きる力を取り戻す手助けをするための考え方や生き方を提示するものです。

ですから、「いまがハッピーだ」「毎日が楽しくてたまらない」「現状に満足している」「生きる喜びを実感している」という方は、どうぞこのブログから離脱してくださって結構です。

「死」や「自殺」、「死にたい気持ち」などを揶揄する人や、死にたい人の気持ちを少しも理解できない人は、離脱していただいて結構です。
(興味関心があれば、どうぞ)

僕は、真面目に真剣に、このブログを運営していこうと思っているからです。
もし、揶揄する人がいれば、僕は戦います。
そのつもりでいてください。

このブログで扱っている題材は「死」のように見えますが、本質は「生きる」ということです。

「死」と「生」は決して切り離して考えられるものではありません。

僕は、決して他人(ひと)に自慢できるような人生を歩んではいません。

ですが、僕はこう考えます。
「生きることは、死へ向かって歩いていくこと」であり、「死ぬことは、どう生き抜いていくか」ではないのかと。

生と死は、コインの裏表です。

人間は、いつか死にます。
死は、等しく誰にも訪れます。

死は、とても悲しく思えます。

特に愛する人の死は、もしかしたら自分の死よりも辛いかもしれません。
愛する人との別れは、心を引き裂く痛みです。

人間生きていると、誰にも等しく、辛く悲しく苦しい出来事に遭遇します。
そうした苦難、困難から誰一人逃げ出すことは出来ないのが人生です。

人はなぜこの世に生れ、そして死んでいくのでしょうか?
多少哲学的な内容を含みながら、このブログで探求していきたいと思います。

実はこのブログのアイディアはすでに僕の中にありました。
ですが、このブログを始めることを一旦は見送っていました。
それは、このブログが、僕が扱っている他のブログよりも「赤裸々」であり、「あまりにも重たい」からです。
この『不死鳥の翼』というブログと向き合うことは、僕の中で痛みを伴うからです。
ズキズキと僕を苦しめる傷みに耐えなければ、言葉を綴れないからです。

ですが、新型コロナウイルス感染症の拡大により、経済苦などの自殺者が急増することが予測されている中で、それに対して“大海の一滴”でもいいから、たった一人でもいいから、僕のように「死の灰」から蘇る人をつくりたい。

僕が救われたように、僕のように死にかけている人を援ける人が一人でも多く現れて欲しい。

闇の中から、一条の光を見つけるほんの小さな手助けができたら・・・。

絶望や深い悲しみに沈んでいる人たちが、生きる力を見つけ出すための、ほんの小さな手助けができたなら・・・。

そうした願いを込めてブログ名を『不死鳥の翼』と名づけました。

それがこのブログを始める動機であり、目的です。

ご縁がありましたら、どうぞよろしくお願いいたします。

2020年9月 ブログ『不死鳥の翼』管理者つばさ 

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