『死にたいと思っているのに死ねないならば、あなたは生きるべき!あなたは生かされていることを知るべき!』

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NHK『自殺と向き合う』に寄せられた投稿に対して、僕が勝手にメッセージを送ります。
(一部、引用あり)

NHK『自殺と向き合う』に寄せられた投稿で以下の様なものがありました。

「今年で23歳。死にたいって初めてノートに書いたのは小学4年生。~
人に話す死にたい、は、進めたら法律違反なんだから。止めて欲しいって思ってから出る言葉でしょう。と言われた。~」

(原文のまま)
(20代女性 2021年5月30日)

「止めて欲しいって思っているから出る言葉でしょう」

という言葉に、僕の心は止まった。

「死にたい」って、メッセージを送ることの意味はなんでしょう?

はっきりしていることは、ありきたりの言葉では「死にたい気持ちを止められない」と、僕は思うのです。
そういっている僕のこのブログの言葉も、「死にたい」と思っている人の心にどれだけ届くのか分かりません。

それでも言えることは、僕は一度「死んだ」ということ。
「死んだ」というのは、「死を決意した」ということ。
でも、何の因果か、生き残った。
だから、状況は違えども死にたい人の気持ちはわかるつもりです。

「世間は意外に冷たい」
それが「死にたい人」を取り巻く現実ではないでしょうか?
しかし、困っている人、頑張っている人、悲しんでいる人には、エールが贈られ、助けが与えられたりすることもあります。

でも、「死にたい」と言うと・・・。
距離がある、距離を感じる、ということです。

なぜなら、助けたくても「死にたい」気持ちになったことのない人は、理解できないからです。
経験がないから共感できないのです。
また、そうしたことを想像することも避けられるからです。

だから、死にたいと思ったことのない人の言葉は死にたいと思っている人の心に響かないのです。

この女性は、世間の人からこんな言葉を言われたそうです。

「まだ若いんだから」
「親御さんが悲しむでしょ」
「死んだら周りも大変だよ」
「死ねと言ったら自殺ほう助になるから」
そして、「止めて欲しいって思っているから出る言葉でしょう」

この言葉の残酷さを多くの人に気がついて欲しい。
突き放した言葉、冷酷な言葉、責める言葉、だと僕は思う。

「自殺」に関する間違いがここにある。
それは、「死にたいと思っている人を責めること」

死にたいと思っている人は「死ぬこと」「死にたいと思うこと」が良いことだなんて思っていない。
そんなことは承知です。
それでも、苦しんでいるのです。
それでも、虚しいんです。
それでも、悲しいんです。
自分を消したいくらいに。

街角で強盗に遭った人は、大声で他人に助けを求めてはいけないのですか?
突然、切りつけてきた通り魔から逃げるために、誰かに助けを求めてはいけないのですか?
火事の炎に取り残された人が救助を求めてはいけないのですか?

どれも助けを求めることは正当で、勇敢な人は救助に向かうでしょう。
世間はそれを当然と受け止めるでしょう。
でも、どうして「死にたい」というメッセージは、冷たく扱われるのでしょうか?

「死にたい」と意思表示することは、「本当は死にたくない、誰か助けて」というメッセージです。

小学4年生から死にたいと思っていたということは、おそらく家庭環境か学校での友人関係に苦しみがあると思います。
10年近く「死にたい」と思ってきたあなたはもう十分苦しみました。
「死にたい」という気持ちを抱えながら10年の歳月を生きることは本人にしか分からない辛さだと思います。

よく耐えて頑張りました。
よく生きてこられました。

根本的にはあなたが抱える問題が解決つかないと死にたい気持ちはなくならないかもしれませんが、ひとつだけ言えることがあります。

それは「死にたいと思っているのに死ねない」のは、誰かがあなたに「生きろ」って、言っているのです。
10年も死にたいと思って生きてきて死ねないのならば、あなたは生きるべきなのです

「死」を考えるのではなく、「生きること」を考えるべきなのです。
なぜなら、あなたは“生かされている”からです。
あなたは誰かに、そして何かに、生かされているからです。

僕は思う。
一度でも死にたいと思ったことのあるひとならば、こう思って生きてみてもいいのでは、と。

「死に向かって歩んでいく」
「いつでも死ぬ覚悟を持って人生を歩んでみる」

「生きていく」ということは、一歩、一歩、人生の死に近づいていることです。

人間は誰も、いつか、必ず死にます。
人間は死からは逃れられません。

「死にたい」と思ったその辛い気持ちは、あなた次第で「あなたの優しさ」「あなたの強さ」に変わります。

僕は思う。
死にたいと思った人は、死にたいと思ったことのない人が経験できない貴重な経験をしたのだと。
死にたいと思った人の方が、その点で、人間として深く広い経験をしたのだと。

僕は思う。
「死にたい」と思っている人の気持ちを理解できるのは、「死にたい」と思ったことのある人ではないかと。
だから、若くして苦しみ、死を考えたあなたのその経験は、あなたの力となる。
同じように死を考える人たちへの助けとなる力となる。
だからこそ、あなたは生きるべきだと。

世界が、みんな、死にたいと思ったことがない人ばかりだったら、死にたいと思った人は孤独の牢獄に入れられたみたいになってしまう。
だからこそ、死にたいと思った人たちが生きていくべきだと、僕は思う。

なぜなら、僕がそう思って生きているから。

もし、あなたが死んだら、僕は悲しみます。

つばさ

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