『「死にたい」と思う人は傷つきやすい人。でも、それは繊細な人でもある』

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「死にたい」と思う人は弱い人? 

「死にたい」と口にする人に、「弱いからだ!」と批判し、「強くなれ!」とハッパをかける人がいます。

確かに、自ら「死」を選ぶということは、自らの人生を自分から放棄することであり、自ら敗北宣言をするようなものかもしれません。
「ネバー・ギブ・アップ!」
という言葉があります。
とても素晴らしい言葉です。

どんなに他人から誹謗中傷されても、他人の辛辣な言葉を無視して生きていける。
どんなに他人から裏切られても、傷つかないで人間を信じて生きていける。
失業、倒産、借金、病気、離婚、家族離散、孤独・・・。
これらの人生の苦境に立たされて、それでも踏んばれる人もいるでしょう。
「絶対にあきらめない」
「必ず立ち直る」
「負けるもんか」
そう自分で自分を奮い立たせて孤軍奮闘する。
それが出来る人は「強い人」だと思います。

でも・・・。
それが出来ない人もいるのです。
それが出来ないとき(時期)ってあるんです。

僕はこう思う。
逆境や苦難に負けてしまい「死にたくなる」人は“弱い”のではなく“繊細な人”だと。
「死にたくなる」人は、繊細な人

死ぬなんてまったく考えない人は、ずうずうしい人。
ずうずうしいことと強いことは、かなり重なり合っている。
繊細なことと弱いことは、かなり重なり合っている。

繊細な人は傷つきやすい。

それが自ら死を考える人の特徴。

僕は思う。
繊細な人はずうずうしい人のようには生きられない。
そう言う意味では、“強くなること”は難しい。
だけど、強さにも種類があることに気がついて欲しい。

生きる「強さ」ってなんでしょうか?

こんなお話があります。

あるところに樹齢数十年の樫の木があった。
樫の木は台風が来ても地震がきても、ずっとその場所で枝葉を広げて生きてきた。
あるとき大木の樫の木にそばに1本の竹が生えた。
竹はひょろひょろと伸びていく。
それを見た樫の木がこう言った。

「おい、おい、竹さん。そんなひょろひょろな幹ではすぐに折れてしまうよ。俺様みたいにどっしりと大地に根を下ろし、太い幹を作り、枝葉を大きく広げないと、襲い来る自然に負けてしまいうよ」

それでも竹は節をところどころで作りながら、真っ直ぐに伸びていった。
風が吹くと揺れる竹を見た樫の木は「いまにも折れそうだ」とあざ笑った。

あるとき、いままでにない強烈な豪雨がやってきた。
樫の木はゴウゴウと音を立てて襲ってくる風と雨に必死に耐えた。
竹も激しい風に襲われて右に左に揺れながら必死に耐えた。

晴天の空の下には、竹が光を浴びていた。
樫の木は落雷に襲われて太い幹は二つに割れてしまった。

「柔軟であること」、これも強さのひとつだと思える。

大木のように太くて堅いものは、その強さゆえにあっけなく倒れてしまうことがある。
でも、少しの風でも揺れてしまう竹は一見するととても弱いように見えるが、柔軟に対応することで風を逃がして生き延びる。

人間も同じではないのか。

つまり、ずうずうしく生きる人のように太く強く人生を生きられなくても「折れないで人生を生きることができる」と思う。
それが「柔軟さ」だと、僕は思う。

人間における柔軟さとは、なんでしょうか?
それは難しく言うと「多様な価値観」だと思う。

多様な価値観ってなんだろう?

他の誰でもない「あなたという個性」を愛する

もうひとつお話があります。

青空が広がる大地にたくさんの向日葵(ひまわり)が咲き誇っていた。
その向日葵のすぐそばで、朝顔が小さな花を咲かせていた。
向日葵の一人がこう言った。

「朝顔さん、朝顔さん、あなたの花はどうして小さいの?」
「朝顔さん、朝顔さん、どうしてあなたはそんな低いところで咲いているの?」
「朝顔さん、朝顔さん、どうしてあなたは棒に頼っているの?」

そして向日葵たちは朝顔の頼りなさ、小ささをみんなで笑った。
でも、そこへ一人の子供がやってきて朝顔の花を見てこう言った。
「うわ~、キレイ!」
子どもはすぐにいなくなったが、それを聞いていた向日葵がこう言った。

「俺たちの力強い茎や大きな花よりも朝顔を褒めるなんて、植物のことをなにもわかってない人間だ。だいたい朝しか花を開かない朝顔なんて植物として価値がない。俺たちは一日中ずっと咲き誇っている」

それを聞いた朝顔はぽつりと言った。

「僕は、ただ僕が咲かせる花の可憐さを分かってくれる人がいるだけで満足だ」
「僕は僕」

多様な価値観とは、他人とは違う自分の個性を愛することだと思う。

朝顔が向日葵のように太い茎と大きな花を咲かせようとすると苦しみの世界に入っていく。
朝顔には朝顔の美しさ、清楚さがある。
朝顔は朝顔にしかない素晴らしさがあり、向日葵には向日葵しかない素晴らしさがある。
朝顔が向日葵になろうとしても苦しいだけ。

でも、人間はどうしても他人と比べてしまう
他人と同じでないことを気にしてしまう

鼻が低い、目が小さい、脚が短い、太っている、頭が悪い、センスがない・・・。
他人から言われた心無い一言に心が傷ついてしまう。

繊細がゆえにその傷がなかなか治らない。

人間は自分を基準にして誰かを評価することが多いもの。
自分が強い人間ならば、弱音を吐く人間を「弱い」と考えて「だからダメなんだ」「もっと強くなれ」と言う。
繊細で他人の言葉にすぐに傷ついてしまう人は、いつまでも心の傷を引きずってしまう。
そして弱い自分を自分で責めてしまう。
弱い自分に自己嫌悪してしまう。

でも、その弱さは繊細さからくるもの。
繊細であることは素晴らしいこと。
それを否定することは無いと思う。

繊細さにプラスして必要なものがある。

それは「他人と違う自分という個性(身体的特徴と性格)を否定しない」ということ。
「他人と違う自分の人生を肯定する」こと。

自分の個性や存在を否定せず、自分の人生を肯定するには、「自分の個性と固有の人生を愛すること」

「あなたはあなたであっていい」

「あなただけの個性と人生を、あなた自身が愛したっていいじゃないか!」

「肯定してください、あなたの個性を」

「愛してください、あなたの人生を」

「あなたはあなただけの人生を生きればいい」

「あなたはあなたしか咲かせない花を咲かせればいい」

つばさ

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