『「生きていれば良いことはある」って、本当?』

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絶望して「死にたい」と思った人が「生きる力」を取りもどすことはできるのでしょうか?

答えは、人によって、状況と環境に違いがあるけれど、生きる力を取り戻すことはできると僕は思う。

なぜなら、僕自身がそれを体験したから

僕が生きることに絶望して「死のう」と思ったとき、たった一人だけ僕の味方をしてくれた人がいた。

それは友人。
その人は僕にこう言った。

「生きていれば良いことがある」

絶望している人間には少しも響かない言葉だった。
僕は当時こう考えた。

「『生きていれば良いことがある?』そんなこと信じられない、思えない」
「たとえ未来に良いことがあったとしても、どうでもいい」
「いまが辛くて死にたいのに、未来のことなんか考えられない」

ってね。

自ら死を選ぶ人の心は暗闇に支配されている。
それはどこを見ても暗闇しか見えない世界にいるような感覚。
明るい明日など、どこを探しても見つからない。
失望や絶望がうごめいている魑魅魍魎(ちみもうりょう)が住む世界にいるような感覚。

たとえ明日良いことがあったとしても、その明日を生きる力を失っているのが「死にたいと思っている人」。
明日ではなく、“今生きること”が苦しみでしかない心境。

幸か不幸か、僕は生き延びた。
そして、いまこう思う。
「生きたことによって良いことがあった」と。
だから、今度は僕が「死にたい」と考えている人、人生に絶望している人に伝えます。

「生きていれば良いことはある」

でも、いまはそれが信じられないでしょう。
いや、それを否定するでしょう。

明日のことを考える力を失っていても、必ず明日はくる。
どんなに深い暗闇でも、必ず朝がくる
どんなに長く感じる苦悩でも、必ず終わりがくる
「明けない夜はない」というのは人生の真実なのです。
問題はそれに耐えられないということ。

大切なことは、誰かとつながっていること
誰かの力をかりること。
誰かを頼ること。
独りぼっちにならないこと。

「相手に迷惑をかける」「相手を困らせる」
そんな風に考えてしまうかもしれない。

だけど、考えてみて。
新型コロナウイルスに感染して中等症以上の状態となったとき、どうする?
インフルエンザにかかって高熱が出て苦しいとき、どうする?
重い病気にかかったとき、どうする?

医者を頼るでしょう!
病院に助けを求める(治療)でしょう!
そのときに、医者や看護師に迷惑をかけるから病院に行かないという選択をする人がいるでしょうか?
なのに、どうして「死にたくなった人」は、周りの人に助けを求めないのでしょうか?

僕の言葉を、もし、死にたいと思っていない人が読んでいたら、よく聞いてください。
「死にたい」と思った人で継続的にそう思っている人、強くそう思っている人が、誰かの援けなくして生き延びることは非常に困難なことです。
誰かの援けなくして生き延びることができたら、それは目に見えない存在に守られた、ということです。

人間は所詮、自分以外の存在がなくては生きられない存在です。
誰かの援けを必要とするのが人間です。
それでいいのです。

生きることが苦しいのなら、「苦しい」と吐き出していいんです。
悲しくて辛いなら、涙が枯れるまで泣いていいんです。
辛い気持ちを吐き出したいなら、信頼できる人に吐き出すべきです。

人間は、一人では生きられない弱い生き物です。
だけど、人間と人間が結びつくことで強い生き物になれます。
そのとき地下の悪魔も退散します。

もし、あなたがいま、「死にたい」と思っているなら、誰かに援けを求めてください。
それは決して恥ずかしいことではありません。
迷惑をかけると気にする必要はありません。
それは例えて言えば、病気になった人が病院に助け(治療)を求めるのと同じです。

「死にたい」と思った人が、孤独と絶望の2つの敵に立ち向うことは困難なのです。
絶望の闇に落ちると自分で這い上がることは出来ないのです。
だから、せめて孤独を無くすのです。
誰かに援けを求めるのです。

それでも、気にする人がいたら、こう言います。
会社は銀行から借金(融資)をして事業を行います。
そして利益の中から借金を返済していきます。
死にたくなって誰かに援けを求めることは事業における融資の申し込みと同じです。
確かに人間関係における借金かもしれませんが、生きて入れば返済することはできます。
あなたが笑顔を取り戻したとき、生きる力を取り戻したとき、「お返し」をすればいいのです。

人間は知らず知らずに他の誰かに助けられて生きているものです。
それが人生です。

もし、誰も頼る人はいない、と言う人がいたら、僕にメッセージをください。
(冗談、イタズラは受け付けません!)

「生きていれば良いことがある」
と、今は信じられなくても、僕はそれを体験しました。
正直に言うと、心の傷はまだ癒えていません。
死ぬまで癒えないかもしれません。
それでも僕はいま生きています。

一つの終わりは、別の始まりであり、闇の支配は光が訪れる前兆なのです。

誰かとつながってください。
誰かに援けをもとめてください。

きっと、その先に僕の言ったことが正しかった、と思うときがくるでしょう。
その日が来るのを僕は待っています。

つばさ

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