『信じたほうが得な死生観(人生観)!』


あなたは自分が死んだら何も残らない、つまり魂やあの世はないと思っていますか?
それとも、死んだら魂となってあの世へ行くと思っていますか?

両者はまったく対照的な価値観です。
お互いにお互いを否定する両立はありえない世界観です。
すると、どちらかが間違っていることになります。
そうです、どちらかが真実で、どちらかが虚言なのです。

それをどちらだと、ここでは語りません。
それは、その方の自由であり、価値観を僕から押し付けることはしたくないからです。

でも、この世と呼ばれている人間世界に生きている身からみて、どう思う方が良いのかということは言えるのではないかと思うのです。
どちらのほうが「死にたくなる人」の救済につながるのか、ということはあると思うのです。

僕が言いたいのは、「信じたほうが得な死生観」です。
もう少しこのブログに相応しい言い方をすると、「信じたほうが死にたくなる気持ちを減らすことができる死生観」「信じたほうが楽に生きられる死生観」です。

4つの死生観

「前提の話」
まずこの話の前提として、人間が肉体の死後、魂存在となるのであれば、あの世があるということになります。
また、人間が死んだらただの骨と灰になるだけで魂が存在しないなら、あの世もないことになります。
これが前提です。

1.「あの世はないと思って生きて、死んだらあの世はなかった
2.「あの世はないと思って生きて、死んだらあの世はあった
3.「あの世があると信じて生きて、死んだらあの世はなかった
4.「あの世があると信じて生きて、死んだときにあの世があった

あなたはどの死生観ですか?

真実はここでは証明できません。
ただ、どの死生観(人生観)を信じて生きたほうが一番得なのか?
ということはあると思うのです。

1の「あの世はないと思って生きて、死んだらあの世はなかった」のであれば、何も損をすることはありません。
だって、死後、あなたは存在しないし、あの世はないのですから。
存在しないあなたが「何かを思うこと」や「何かを感じること」はないからです。
損はしないですが、もし、これが真実だったら僕はとても悲しい気持ちになります。

2の「あの世はないと思って生きて、死んだらあの世はあった」とするならば、大変です。
真実を知らなかったあなたは、はたして天国に帰れるでしょうか?
このケースでは、明らかにあなたは損をします。
もし、これが真実だった場合は、深い後悔をすることになるでしょう。

3の「あの世があると信じて生きて、死んだらあの世はなかった」だとすると、1同様にあなたは何の損もしません。
だって、あなたは存在しないのですから。
でも、僕は、これが真実だと思って生きるのは切ない気持ちになります。

4の「あの世があると信じて生きて、死んだときにあの世があった」とするならば、あなたは得をしたことになります。
4の死生観が一番得する死生観です。
一番「死にたい人」の心を救ってくれる死生観です。

大事なポイントは、「あの世がある(魂がある)」と「あの世がない(魂がない)」というどちらを信じるか、どちらの死生観を持って生きるかです。

この2つを比べてみたときに、明かに「あの世がある(魂がある)」と信じて生きる方が得なのです。
「あの世がある(魂がある)」という死生観が導くことは、「人間が転生輪廻している世界観」です。
つまり、人間は肉体生命が終わりを告げても、あの世で存在し、また生まれ変わってくるということです。
これのどこが得なのか?

あの世があり、魂が転生輪廻するということは、「やり直しができる」「逢いたい人に再会できる」「何度でもチャレンジできる」「今とは違う人間として別の人生をおくることができる」という意味を持つからです。

事業や受験に失敗した。
病気ばかりして若くして死んでしまった。
イジメを受けて辛い人生だった。
など、生きていれば辛いことは数知れず訪れます。

そのとき、「あのときこうすればよかった」「あのとき違う選択をすれば違う人生だったかもしれない」「違う家庭環境で生まれていたら」「もっと自分に能力があったら」と思うことはありませんか?
人間が転生輪廻しているとするならば、そうした「チャンスがある」ということなのです。

また、人間の大きな悲しみの一つに、家族や親しい友人など愛する人たちとの別れがあります。
あの世がなく、魂も死後存在しないのならば、愛する人とは二度と逢えません。
しかし、あの世があり、魂が死後存在するならば、いつの日かめぐり会うことができます
2つのうち、どちらが希望を持てますか?

要するに、あの世があり、魂があると信じて生きる方が、希望を持って生きられるのです。
今回の人生が失敗ばかりでも辛いことばかりでも、悲しいことばかりでも、次の転生で「きっと幸せになる」と思うことができる、ということです。

チャンスがある、再会できる、そう信じて生きる方が生きる力に力強さがでます。
人間は、死んだら終わりだと思うから自己中心的で身勝手に生きるし、自殺してしまうのです。
あの世があり、魂が存在しないと思うから「死んだら楽になれる」と思うのです。
死んだら楽になるとは、自分は存在しなくなるのだから、辛さや悲しさを味合わなくて済む、ということです。

でも、やり直しができる、別の人生を歩める、逢いたい人にまた会える、ことのほうが人生に希望を持てませんか?
でも、そう信じて生きたけど、やっぱりあの世はなかったじゃないか、と言う方がいましたら、あなたはそんなことを思えません、と言っておきます。
だって、あの世はなく、あなたも消滅しているのですから。

だから、あの世があると信じて生きても何の損はしません

むしろ、あの世がないと信じて身勝手に生きて、やっぱりあの世はあったとするならば、あなたは大変驚愕し、反省をしなければなりません。
それは損か得か、といえば、大損です。

このブログを縁あって読んでいる方がいましたら、僕から伝えることがあります。
「あの世があり、魂が存在する」と信じても何の損もありません。
むしろ得します。
なによりも、そのほうが希望や生きる力を生み出します。

もう一つ重要なことがあります。

あの世があり魂が存在するから、辛い今の人生を終わりにしようと思うことは、さらなる辛い経験しか導かないということです。
あの世があり、魂が存在するならば、そこには法則が必ずあるからです。
その法則は「原因結果の法則」です。
ですから、苦悩のうちにあの世へ行った人は苦悩の世界に行くことになります。

じゃあ、どうしたらいいんだ?

あの世があり、魂が存在するといいうことは、あなたを苦しめている人には、必ずあの世でお仕置きが待っているということです。
あなたが復讐をする必要はありません。
悪人は必ず地獄で苦しむことになります。

また、辛い人生を必死に耐えて人生を終えることができたなら、あなたにはご褒美がきっとあるでしょう。
もし、「死にたい」と思っている人がいましたら、「もし、あの世があり、死後も魂が存在するならば、来世どんな人生をおくるか」と考えてみてください。
そんな死生観(人生観)を持って生きても、何の損もしません。
むしろ、その方が得をすると僕は信じています。

つばさ

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