『死にたい気持ちは死神ウイルスによる感染!』


「死にたい」と思う気持ちは、「死神ウイルス」による感染

僕は思う。
人間は、誰しも本当は「生きたい」と心の奥底では思っていると。

でも、人生は苦難の連続。

ひとつ逆境を乗り越えると、また次の逆境が襲ってくる。
ひとつ悲しみが癒えたと思ったら、また別の悲しみに包まれてしまう。

人はあるとき人生に疲れてしまう。
人はあるとき、今を生きる力を失ってしまう。
人はあるとき、生きることを諦めてしまう。
そんなとき、人はふと、死にたくなる。

そのとき、人の心に入りこむものがある。
それが「死神ウイルス」

「死神ウイルス」は、死神が放つウイルス。
人間を「死の世界」に連れて行こうとする死神のしもべ。

「死神ウイルス」は、人の心の中に入りこみ、人間のポジティブな考えを破壊して、生きる力を死滅させていく。

でも、「死神ウイルス」に感染した人が全員自ら死ぬわけではない。
「死神ウイルス」には、軽症、中症、重症と違いがある。

なかには「死神ウイルス」に感染したことに気がつかない人もいる。
気がつかないまま生きる気力を取り戻し、希望を見つけ寿命をまっとうする人もいる。

「死神ウイルス」に感染すると、「死にたい」と思うようになる。
「死神ウイルス」が増殖すると、死にたい気持ちが強くなり、連続してくる。
放置したり治療しないと、やがて軽症から中症となり、重症化する。

軽症で治る人は多い。
でも、中症になると危険信号が灯る。
重症は、生死の境をさまよっている状態。

うつ病は死神ウイルスに感染した軽症患者といえる。
放置すると症状が進み、「死にたい」気持ちが強く、そして連続して出てくる。

問題は、人の心の状態が他人からは見えないこと。
本人さえ「死神ウイルス」に感染したことに気がついていないこともある。

「死にたい」と思う気持ちがでるならば、それはすでに「死神ウイルス」が侵入した証拠。
対策が必要だ。

でも、重症となると単独では回復できない。
そこに他人の力などが必要となる。
そのことを多くの人が理解するべきだ。

「死にたい」と思う人は弱い人。
そんな言葉をはける人は、「新型コロナウイルスに感染した人は不健康だからだ」なんて言っているのと同じ。
優しさや思いやりのない言葉。

人は誰しも人生の途中で「病」にかかる。
人生が苦難の連続だとすると、人生の途中で「死にたくなる」ときがあっても不思議ではない。

だけど、とても大切なことを伝えたい。

「死神ウイルス」に感染し、重症化すると自分一人では回復できない。
誰かの助けが必要になる。

もし、あなたの大切な人が「死神ウイルス」に感染=「死にたい」という気持ちになっていたら、絶対に放置してはいけない。

「死にたい」という気持ちになっている人を放置することは、見殺しにすることと同じこと。
見て見ぬふりをするならば、間接的な殺人だともいえる。

もうひとつ重要なことは「死にたい」という気持ちを他人に見せない人がいることだ。
だから、家族が自ら「死」を選んだときに、そのことに気がつかない家族がいる。

でも、必ず兆候はある

眼が曇る。
否定的な言葉が多くなる。
無口になる。
暗い表情をしている。
やたら一人になりたがる。
いままでしていた楽しみを楽しまなくなる。
ため息が多くなる。

それらの信号に気づいてほしい。

《「死神ウイルス」への処方箋》

「死にたい」という気持ちが湧いて来たら、すでに「死神ウイルス」に感染している。
「死にたい」という気持ちが続くようなら、中症。
生きることを諦めてしまったら重症。

そして、大切なことは重症化した人は他人の助けがなくては回復しないということ。
つまり、治療が必要ということ。

「死神ウイルス」を撃退するにはワクチンが必要。
「死神ウイルス」のワクチンとは、「愛」。

誰かがその人を愛すること。
愛を与えること。
それが「死神ウイルス」を死滅させる力となる。

「死にたい」と思っている「死神ウイルス」に感染した人には誰かの愛が必要なのです。

大切な家族、友人を失いたくなかったら、失って後悔したくないならば、「愛」を示してください。

愛ある言葉を。
愛ある行為を。
愛を示すのです。
それがワクチンであり特効薬です

人は愛があれば生きていけます。
逆にいうと愛なき人生は常に「死神」から狙われている状態です。

「死神」が喜ぶこと、それは人と人とが「信じあわないこと」「人と人とが憎しみあうこと」。
死神の仕事は、「人と人の絆を分断すること」なのです。

だから、「無関心」「無視」は「死神ウイルス」を増殖させます

重症化した人は「死神ウイルス」に敗北して人生を奪われます。
「死にたい」という気持ちになっている人から目を離してはいけません。

「死神ウイルス」に感染した人に言ってはいけない言葉があります。

「頑張れ」
「誰だって死にたいときはある」

その人のいま苦しんでいるその気持ちを否定することは、たとえ元気づけようとしたことだったとしても、逆効果でしかありません。
援けるどころか、逆に死の世界へ背中を押している行為です。

大事なことは、「共感」です。
その人の気持ちを否定してはいけません。

愛とは、その人の気持ちになってみることです。
愛とは、その人の苦しみを理解することです。
愛とは、その人の人生を肯定することです。
愛とは、「あなたに生きて欲しい」という気持ちと言葉です

愛を隠していては愛になりません。
愛は外に現れてこそ愛となります。

それが「死神ウイルス」に感染した人を死の世界から救うことになります。

排除すべきは「無関心」「無視」です!

人は誰かに必要とされるならば、辛い人生でも生きていけるのです。

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