あなたは絶望して生きる力を完全に失った人にどんな言葉をかけますか?
「死にたい」と口にした人を目の前にして、なにを語りますか?
「死ぬなら独りで死ね」
「死にたいなら、黙って死ね」
これは僕がよく知る人が自殺したい心境になったときに、その兄から言われた言葉なのです。
これ以上残酷な言葉があるでしょうか?
その人は、ある出来事がきっかけで家族に見捨てられてしまいました。
彼は、住んでいる自宅以外のすべてを失いました。
精神的に深く傷つき絶望した彼は「死ぬ」ことを考えました。
彼にも落ち度はありますが、原因は家族がつくったものです。
(プライバシー保護のため、あまり詳しく書けませんが、ご了承ください)
そんな状況のときに彼の兄が放った言葉でした。
さらにこんな言葉も言われたそうです。
彼と兄が二人で話をすることになったとき、
「死ぬという言葉を吐いたらすぐ帰る!」
「死にたいなんてみんな思ったことがある。だからといって死ぬやつはいない」
そして何度かメールのやり取りをした際に、その兄は返信もせずに何度も何度も彼を無視したそうです。
僕は、この人のことが許せない!
「死にたい」と思っている人に対して絶対に言ってはいけない言葉を何度も吐いているからだ。
自殺する人は弱い人、という考えが世の中にはある。
だけど、人間だれだって弱い。
違うのは、弱いか強いかではなく、
「責任を重く考えてしまうか、無責任に考えることが出来るか」
「真面目過ぎてしまうか、中途半端でもいいと思えるか」
「自分を責めてしまうか、他人を責めるのか」
の違いだと思う。
残念だけど、人間世界には、彼の兄のように「思いやりの心」を持たない残酷な人間が存在する。
そして、こういう人に限って紳士を気取っていることが多い。
「死にたいなら、黙って死ね」
「死ぬという言葉を吐いたらすぐ帰る!」
この二つの台詞は、絶望して死を考えるほど苦しんでいる人の気持ちをまったく受け止めず、むしろ迷惑に思っている人の心境が浮き彫りにでている言葉だと思う。
弟が死ぬことで兄が迷惑するから止めてくれ、ということだとしか思えない。
つまり、その兄は自分のことしか考えていない。
死に行く人のことよりも、自分の身の安泰をはかっている残酷すぎる人間の言葉だと思う。
どんな理由があろうとも、「死ぬなら独りで死ね」なんて言うことは殺人となんら変わりないと、僕は思う。
「死にたいなんてみんな思ったことがある。だからといって死ぬやつはいない」
この兄は日本において、毎年2万人以上の自殺者が出ていることを知らないのだろうか?
確かに「死にたい」と思った人は数多くいると思う。
だけど、「死にたい」という気持ちにも差がある。
ふいに「死にたい」と思う。
「死にたい」と思ったり、でもやっぱり「生きたい」と思ったりする。
本当は「生きたい」と思うけど、でも「死にたくなる」。
「生きること」が考えられなくなり、「死ぬしかない」と強く思う。
「生きる」ことがあまりにも苦しくて「死ぬことしか考えられない」。
この人は人が「死にたい」と思う気持ちをほんの少しも理解していない、自己中心的な性格な人だと思う。
絶望感に包まれ、死のうとしている弟よりも、弟の死に巻き込まれる自分のことを心配しているんだ。
なんて残酷な人間なんだろうか。
僕には、彼の兄の言葉が“悪魔の台詞(言葉)”にしか聞こえない。
人生に絶望し、死を決意した人に対して「勝手に死ね」「迷惑だ」なんて言葉を吐ける人間がこの世にいることに、僕は吐き気がする。
許せない!
残念ながらこうした冷酷な人間がたくさん存在する。
ネットで会ったこともない人に「消えろ」「死ね」と誹謗中傷する人たちも残酷な人間だ。
でも、優しさと思いやりを持つ人もたくさんいる。
どちらに出会うか、それが人生の分かれ道になることがある。
毎年2万人以上の自殺者がいるということは、もしかしたら「死に行く人」の周りには、「死にたいという気持ち」を理解する人、思いやることが出来る人、苦しんでいる人の気持ちを受け止めてあげる人がいないのかもしれない。
僕は思う。
たった一人でも「死にたい」と思っている人の気持ちを理解し、受け止め、行動を監視し、励ましの言葉、救済の手を差し伸べる人がいたならば、2万人もの人が自ら命を断つことはないと。
自殺したい人って、自分の気持ちを誰かに理解してほしいと思っているんだよ。
自分の気持ちを受け止めてほしいんだよ。
きっと。
それは他人から「求める」ことであり、「奪う」心境なのかもしれないけど、それを本人はどうすることも出来ないのが本当だと思う。
例えて言えば、重い病気になって医者とか看護師の世話にならないと元気にならない状態と同じだと思う。
「死にたい」と言っている人を責めることは、病気になったのは自分の不養生だから医者に頼らず自分で治せ、と言っているようなもの。
「死にたい」と思っている人には誰かの存在(援け)が必要だと、僕は思う。
(もちろん本人の生きる力も必要だけど)
あなたは絶望して生きる力を完全に失った人にどんな言葉をかけますか?
「死にたい」と口にした人を目の前にして、なにを語りますか?
この質問の答えを僕は探している。
僕自身が死の灰から蘇ってきたけれど、死ぬ理由は人によってさまざま。
状況、心境が人それぞれに違う。
誰かに合う言葉は誰かに合わないかもしれない。
それでも、僕はこのブログが続く限り、探し続けたい。
それこそ僕が死の灰から蘇った理由だと思うからだ。
あなたも僕と一緒に探しませんか?
もし、このブログを読んでいる人の中に「いますぐ死にたい」と思っている人がいたら、伝えたい。
僕はあなたに生きて欲しい、そう思っている。
このブログは僕の心。
ここへ来れば僕と繋がれます。
僕はいつでもあなたを思っています。
なぜなら「死にたい」と思った人は僕の同志だからです。
つばさより。