「自己嫌悪」
「自分が嫌い!」
なぜだろう?
いつも失敗ばかりしている。
他人に迷惑をかけてしまった。
悪いことをしてしまった。
取り返しのつかないことをしてしまった。
罪悪感に襲われて抜け出せない。
顔がわるい。
背が低い。
身体能力が他人より劣っている。
身体的特徴にコンプレックスがある。
頭が悪い。
仕事ができない。
だから他人の目が怖い。
他人とうまく人間関係を築けない。
誰も自分を認めてくれない。
それどころか陰口を叩かれる。
イジメにあっている。
友人がいない。
孤立、孤独。
自分は嫌われていると思っている。
他人を憎んでしまう。
そんな自分が嫌になる。
学歴がない。
年収が低い。
出世していない。
自分が世の中にいていいのだろうか?
自分は社会から必要とされていないんじゃないか?
自分が消えてもだれも気がつかないんじゃないか?
そう思ってしまう。
だから、自分を否定したくなる。
「自分が嫌いな自分」が嫌になる。
それは自己否定につながっていく。
こんな自分には価値がないんじゃないか?
生きていても意味がないんじゃないか?
生きる意味がみつからない。
生きる力が見当たらない。
自己嫌悪は、自信喪失につながり、自信がない人は自己嫌悪に陥る。
自己嫌悪の渦から逃れられないと自己否定したくなる。
自己否定の虜になると「死にたくなる」。
そのときに「孤独」だと、「絶望という闇」に四方を囲まれてしまう。
孤独はいつでも絶望を引き寄せる。
自己嫌悪、自己否定する人は孤立しやすい。
そして孤立は孤独を生み、孤独は「絶望」を連れてくる。
だけど、僕は思う。
自己嫌悪できる人は邪悪な人間じゃない。
邪悪な人間は、自らの罪を見つめることができない。
光が邪悪な人間の悪を照らし出そうとすると、それを拒否、妨害する。
邪悪な人間は、自分の過ちを認めようとしない。
邪悪な人間は、自分で自分の嫌なところを見つめようとしない。
邪悪な人間は、自己嫌悪しない。
邪悪な人間は、自己否定しない。
邪悪な人間は、自殺しない。
だから、自己嫌悪できる人は少なくとも邪悪な人間ではない。
なりたくても自己嫌悪するひとは邪悪な人間にはなれない。
自己嫌悪しているということは、自分で自分の過ち、欠点、罪、コンプレックスを見つめることができるということ。
自分のダメなところ、弱いところ、他人より劣っているところ、犯してきた罪、それを自覚できるってこと。
それは「良い人間」の証明でもあると、僕は思う。
でも、それが自分を苦しめている。
それが苦しみの原因となっている。
自信を持て、と言われてもそんな簡単にはいかないでしょう。
自分を嫌いになるな、と言われても「どうしたらいいのか」と、戸惑ってしまうでしょう。
自己嫌悪に苦しんでいる人に僕から伝えたいことがある。
自分のダメなところを数えるのをやめて。
過去の失敗を思い出すことをやめて。
自分の欠点ばかり見つめることをやめて。
他人から傷つけられたことを早く忘れて。
10個ダメなところがあっても、1つ良いところがあれば、それを自分で評価して。
悪いこと、ダメなところを数え出したら、負の無限ループに陥るだけ。
誰だって欠点はある。
誰だって失敗はある。
誰だって悪いことの一つや二つはしている。
完全無欠な人間なんていない。
自分のダメなところを見つめるんじゃなくて、自分の良いところを見つめて。
1つでも良いところがあれば、それを自信に変えて。
1つでも良い出来事があれば、それを喜びに変えて。
悪いことじゃなくて、良いことを探して。
他人から求めずに、あなたが他人に何かを与えて。
他人からの自分への態度や評価を気にする前に、あなたが自分自身を大切にしているかどうかを気にして。
心は磁石。
心がマイナスの磁石になっていれば、不幸な出来事や現象をひきつける。
でも、心がプラスの磁石であれば、良い出来事やハッピーな現象をひきつける。
自己嫌悪できるということは、真面目な性格で責任感が強い人だと思う。
あなたはもっと自信をもっていいと、僕は思う。
あなたはもっと自分という人間の素晴らしさに気がつくべきだと、僕は思う。
誰もあなたを認めてくれないからといっても、あなたがあなたを否定する理由にはならない。
誰もあなたを好きになってくれないからといっても、あなたがあなたを嫌いになる理由にはならない。
あなたは、本当は素晴らしい人間。
あなたは世界で唯一無二の存在。
心の磁石をプラスに変えて!!
つばさ