『誹謗中傷などのリンチがときとして人の命を奪う ~心が傷つくとき~』

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2020年5月23日、テラスハウス出演中だった女子プロレスラー木村花さんが自ら命を断ちました。

テラスハウス出演中だった木村花さんに対して、ネット上で誹謗中傷する言葉が繰り返されていたことを苦にしての自殺とみられています。
また、花さんの行動が番組スタッフの指示だったにもかかわらず、その事実を生前に明かすことができずにいたため、誹謗中傷する人から身を守ることができなかったことが、花さんをさらに追い込んだと思われます。

花さんは、どんなに悩んだことでしょう。
花さんは、どんなに苦しかったことでしょう。
花さんは、どんなに辛かったことでしょう。
花さんは、どんなに孤独だったでしょう。

僕は、泣けてくるほど、悲しい。

僕は、「死にたくなる人の気持ち」が理解できるから。

僕は、死の淵から蘇った人間だから。

人は、どうして他人を憎み、嫌い、排除しようし、心を傷つけるのか?

他人の傷みに鈍感。
他人の苦しみを理解できない。
自分のことしか考えない自己中心的。
他人を責める人間性。

「意見」と「悪口」
「批判」と「誹謗中傷」
これらは“似て非なるもの”だと、僕は思う。

「意見」と「批判」は、言論の自由であり、社会と人間を修正し、よりより社会をつくり、発展させるために必要なものだと、僕は思う。

人間って、どんなときに幸せを感じるかというと、僕は「自由を感じたとき」だと思う。
自由を奪われたとき、人は苦しみの世界に閉じ込められる。

顔も分からない、名前も知らない人から、毎日誹謗中傷されるということは、日常生活における心の自由を奪われるということだと、僕は思う。

考える自由を奪われ、言葉のナイフで体中を切り刻まれながら、苦しみの世界へと真っ逆さまに落とされる、そんな状況だと思う。

本当は、良いところもあったのに、本当は良い人なのに・・・。
誹謗中傷は、それを完全に否定して心の自由を奪っていく。
本当は楽しいことが未来で待っていたのに・・・。

それを奪っていく

ネットでの誹謗中傷は、子どもの間で起きるイジメと同じだと思う。
イジメる理由なんていらない。
イジメる動機なんか意味もない。
ただ、嫌いだから、ムカつくから・・・。
誰かをイジメると、ストレスが発散されるから・・・。

イジメを苦にして自殺する人と、ネット上で誹謗中傷されて自殺する人には共通している特徴がある。

それは、

他人を責めるよりも、自分を責める気持ちが強いこと
そして、他人を傷つけることを躊躇する傾向性があること

「なんだと~!」
「やってやる~!」
と、相手に対して立ち向かっていかない。
反論、反撃をしない。

それを「自分は弱い」と思ってしまう。

そうかもしれない。

立ち向かっていく人にイジメは起きない。
反撃して相手を打ち負かす人をイジメる人はいない。

でも、こういう考えもある。

「優しい」
弱いんじゃなくて、優しい人なんだと僕は思う

優しいから、他人を傷つけることに躊躇してしまう。
その代わり、その刃が自分に向いてしまう。

「僕って何をやってもダメだな」
「私は人に嫌われる人間なんだ」
「私が悪いんだ」
「僕のせいなんだ」
と、自分で自分を傷つけてしまう

僕は思う。
この世に完全無欠の人間なんていない。
完璧な人間なんてどこにもいやしない。

長所と短所は裏表
ダメなところはひっくり返せば、良いところになる
だから、ときには自分で自分を褒めることも大切じゃないかな。

「僕は(私は)、ダメはダメなりに、よく頑張っている」
「僕のこと(私のこと)嫌いな人がいるけど、どこかに僕を(私を)好きになってくれる人もいるんじゃないかな」
「ダメ人間だって生きてもいいじゃないか」
そう思うことも大切。

完全無欠、完璧主義は苦しいばかり。
息がつまる。

だから、不完全な自分を自分で認めてあげること
“開き直り”って、あまりいいときに使わない言葉だけど、開き直ってみることも大切だと思う。

「いいじゃないか! こんな俺(私)でも生きていたって・・・」

他人から誹謗中傷された言葉は、ナイフでスパッと切られた傷。
血を流し、痛みを感じる。
その痛みは時間がたってもずっと痛い。
ずっと、ずっと・・・。

人は心に傷を負うと正常な判断が出来なくなる。
心の傷は、不幸を呼び込む。
心の傷は、マイナスの思考を生み出す。
心の傷は、生きる力を奪っていく。

苦しみ、悲しさ、切なさ、そんな心の傷みから逃げたくなる。
だから命を絶つ。

「愛は求めれば苦しみになり、与えれば喜びとなる」
「愛を奪えば不幸になり、愛を与えれば幸福になる」

という言葉がある。

他人からの誹謗中傷を気にすることは、他人から自分への評価を気にしているということでもある。
それは難しくいうと、“求めている”ことだと思う。

でも、

「他人の評価なんか、気にするな!」
死にたくなっている人には響かない台詞だ。

だけど、ある意味では正解だと思う。
他人の評価、言葉を気にしないでいられる人間なら自殺はしない。

イジメを苦にして自殺する人、ネット上で誹謗中傷されて自殺をする人はそれが出来ない。
人間はいろいろだから。

でも、僕は思う。
解決方法は二つだと。

一つは、先にも言った「他人の言葉や評価を求めない(気にしない)自分となること」

もう一つは、「自分で自分を認め、褒めてあげること」+「不完全な自分に開き直っていきること」

人間は誰だって不完全、肉体的にも精神的にも完璧な人間なんて存在しない。
だから、俺だって(私だって)生きていていいんだ、と思うこと。

この世界は、完全じゃないと生きる資格はない、なんて風にはなっていない。

神様は、不完全な人間を作った、と僕は思う

だから、
不完全でいいんだよ。
欠点があってもいいんだよ。
ダメなところがあってもいいんだよ。
恥をかいてもいいんだよ。
失敗してもいいんだよ。
出来ないことがあってもいいんだよ。
転んだっていいんだよ。
お金なんかなくてもいいんだよ。
美人じゃなくても、美男子でなくても、いいんだよ。
地位なんかなくてもいいんだよ。
他人は他人、あなたはあなた。
僕は僕(私は私)。

僕は尾崎豊が好きだった。
尾崎の歌に「僕が僕であるために」という曲がある。
尾崎は歌った。
「僕が僕であるために 勝ちつづけなくちゃならない♪」

僕は僕、あなたはあなたのままでいい。
欠点と共に生きていくことだ。

欠点があることよりも、欠点にばかりとらわれている心を気にすることが大切だと、僕は思う。

僕は思う。
人生って、恥をかきながら生きていくこと。
人生って、転んでは起きて、また転んで起きて、その繰り返し。
人生って、悪いことばかりじゃない。
人生って、嫌われることばかりじゃなく、誰かに認められることもある。
人生って、涙を優しさに変えていくこと。
人生って、辛いことに必ずあうけど、辛い経験をするからこそ成長する。
人生に疲れたら、休んでもいい。
人生で悲しくて心が痛んだら、立ち止まって泣いたっていい。
泣くことや立ち止まること転ぶことを恐れなくていい。

なぜなら誰だってそうだから。

他人から誹謗中傷されて苦しむことは誰も同じだけど、必要以上に苦しんでしまう人へ僕は伝えたい。

好きな歌を聴いてごらん。
青空を見上げてごらん。
愛情を注いでくれた両親や友だちを思い出してごらん。

明日のことは考えなくてもいい。
未来のことは考えなくてもいい。
一年後の生活の心配なんかしなくていい。

“今日を生きる”ことだけ考えてみて!
今だけを生きると思ってみて!
悲しかったら思いっきり泣いてみて!
そして、涙が枯れたら、生きるんだ!

明日になったら、そのときまた「今日を生きよう」「今だけは生きよう」と思ってみて。
人生の長い先なんか考えなくてもいい、今を生きることだけを考えて

恥をかくことは恥じゃない
人から嫌われることは、他人を軽蔑することよりもずっとましなこと

僕は、あなたが生きることを望んでいます。
もし、あなたが孤独だったら、僕へメッセージをください。

この世界のどこかで「死にたい」と思っている人がいるのなら、その人は「僕の同志」だと思っている。

誹謗中傷された言葉を気にするなって言われても、気にしちゃうよね。
それが人間だよ。

でも、これだけは言わせて。
他人から受けた心の傷の上から、自分で傷を深くすることはやめて。
他人から誹謗中傷された心の傷は負ってしまっても、自分で傷口を広げないで。

弱くて、ダメで、嫌われたとしても、その自分を愛して
だって、それがすべてじゃないから。

自分で自分を認めてあげること、
そこから与える人生が始まり、
幸福の扉が開くと、
僕は思う。

ここに僕がいることを忘れないでください!

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