『信じたほうが得な死生観(人生観)!』
僕が言いたいのは、「信じたほうが得な死生観」です。 もう少しこのブログに相応しい言い方をすると、「信じたほうが死にたくなる気持ちを減らすことができる死生観」「信じたほうが楽に生きられる死生観」です。
僕が言いたいのは、「信じたほうが得な死生観」です。 もう少しこのブログに相応しい言い方をすると、「信じたほうが死にたくなる気持ちを減らすことができる死生観」「信じたほうが楽に生きられる死生観」です。
僕はこう思う。 逆境や苦難に負けてしまい「死にたくなる」人は“弱い”のではなく“繊細な人”だと。 「死にたくなる」人は、繊細な人。 繊細な人は傷つきやすい。 「あなたはあなたであっていい」 「あなたはあなたしか咲かせない花を咲かせればいい」
「一人で死ぬのが怖いから誰かと一緒に死を選ぶ」 「SNSで『死にたい』とつぶやく」 この2つは、あなたの心の奥底のあなた自身からのメッセージです。 あなたはまだ引き返せます。 あなたの葛藤、苦悩は生まれ変わるあなたの翼になるのです。 あなたは醜い姿から優しい人間、少し強くなった人間に生まれ変わるサナギの状態なのです。
人生を生きる中で、人は「こう生きるべき」という価値観に縛られてしまうことがあります。 ふと、気がつくと自分の「生きる」に点数をつけていることに気がつきます。
もし、「死にたい」と、あなたが誰かに言われたら、どうしますか? 「そんなこと言わないで」でしょうか? それとも「死んだら、あかん」でしょうか? それとも「なんで死にたいの?」でしょうか?
あなたは絶望して生きる力を完全に失った人にどんな言葉をかけますか? 「死にたい」と口にした人を目の前にして、なにを語りますか? この質問の答えを僕は探している。
「死にたい」と思う気持ちは、「死神ウイルス」による感染。 「死神ウイルス」に感染し、重症化すると自分一人では回復できない。 誰かの助けが必要になる。 「死神ウイルス」を撃退するにはワクチンが必要。 「死神ウイルス」のワクチンとは、「愛」。
でも、本当は経済が原因じゃない。 心が折れてしまったからだ。 誰かがそばにいなかったからだ。 生きる力を失ったからだ。 生きる望みが見いだせなくなったとき、人は絶望する。 絶望したときに孤独だと、救いの糸は完全に断たれてしまう。 いつ死んでもいいと思うなら、今日を生きることができる。