『それでも、前へすすむ!』
あなたの肉体は“いま“を生きているのです。 でも、心が「過去」に生きているから苦しいのです。 「過去の不幸」を忘れてください。 「過去の恨み」を忘れてください。 「過去の出来事」を忘れるのです。 それでも、前に進むのです。 それでも、明日へと踏み出すのです。
あなたの肉体は“いま“を生きているのです。 でも、心が「過去」に生きているから苦しいのです。 「過去の不幸」を忘れてください。 「過去の恨み」を忘れてください。 「過去の出来事」を忘れるのです。 それでも、前に進むのです。 それでも、明日へと踏み出すのです。
「死にたい」と思っている人には、同情は必要ありません。 「死にたい」と思っている人に、同情は援けにはなりません。 同情と違い、「思いやり」は相手の立場に立って考える感情です。 「思いやり」は、相手の心に寄り添う感情です。 「思いやり」には、上下関係はないのです。
僕が言いたいのは、「信じたほうが得な死生観」です。 もう少しこのブログに相応しい言い方をすると、「信じたほうが死にたくなる気持ちを減らすことができる死生観」「信じたほうが楽に生きられる死生観」です。
僕はこう思う。 逆境や苦難に負けてしまい「死にたくなる」人は“弱い”のではなく“繊細な人”だと。 「死にたくなる」人は、繊細な人。 繊細な人は傷つきやすい。 「あなたはあなたであっていい」 「あなたはあなたしか咲かせない花を咲かせればいい」
「一人で死ぬのが怖いから誰かと一緒に死を選ぶ」 「SNSで『死にたい』とつぶやく」 この2つは、あなたの心の奥底のあなた自身からのメッセージです。 あなたはまだ引き返せます。 あなたの葛藤、苦悩は生まれ変わるあなたの翼になるのです。 あなたは醜い姿から優しい人間、少し強くなった人間に生まれ変わるサナギの状態なのです。
人生を生きる中で、人は「こう生きるべき」という価値観に縛られてしまうことがあります。 ふと、気がつくと自分の「生きる」に点数をつけていることに気がつきます。
もし、「死にたい」と、あなたが誰かに言われたら、どうしますか? 「そんなこと言わないで」でしょうか? それとも「死んだら、あかん」でしょうか? それとも「なんで死にたいの?」でしょうか?
あなたは絶望して生きる力を完全に失った人にどんな言葉をかけますか? 「死にたい」と口にした人を目の前にして、なにを語りますか? この質問の答えを僕は探している。